Tetsu Ikuzawa and RACING MATE.

      is back!

このステッカーは、60年も前の「当時の」「本物の」「オリジナルの」ステッカーです! これを保存している人、持っている人、ましてや、こんな綺麗な状態で持っている人、アタシ以外に他に居ないと思います!

現在、巷で売られている RACING MATE のステッカーやワッペンは、その全てが無許可で制作され、その全てが無許可で売られている紛いものです!  ヒドイのになると書体は違うし、色も違います! その上、各色有りなんて言うのまで有ります!

そもそもが  RACING MATE も、クローバー・マークも、トレード・マークとして商標登録されています! もう素晴らしい放置状態、素晴らしい無法状態です。 RACING MATE の立ち上げから携わっていたアタシとしては、これはどうにかしたいと思ったのは当然かもしれません。

RACING MATE の最初のプロダクトは、これだったと知っている人、もはやアタシだけでしょう。RACING MATE は、このステアリング・カバー、たったの1点だけで、東京の恵比寿と言う所の小さな貸し事務所からスタートします。 ところが、これが大ヒット!

でも、このステアリング・カバーの売るきっかけを知っている人、これは、もう確実にアタシだけです。だってアタシ、このステアリング・カバーのきっかけとなる場所に式場 壮吉と一緒に行っています! そもそもが RACING MATE と言うブランド名の生まれた由来すら皆さんは知らないでしょ? そのきっかけとなった時と場所にも、アタシは居ました! しかもアタシ、その場所で先頭に立っています! そもそもが、何故アルファロメオのクローバー・マークなの? そのきっかけとなった場所にもアタシは式場 壮吉と一緒に居ます! その全ては、実に1964年にまで遡ります! アタシが、どれだけ RACING MATE に関わっているか、思い入れがあるか、これで充分以上に分かるかと思います。

シキバ エンタープライズ初期の頃、1964年の日本グランプリの時。鈴鹿サーキットからの依頼で作った記念プラックです。アタシのデザインです! レース時、グランドスタンド裏のショップで売られていました。これ持って居る人、まず居ないでしょ。

そして、一世を風靡するが、始まるのです。

この「サーキット・パラソル」持っています。

この「インターナショナル・プレート」持っています。新品未使用!

こう言うのも、ありました。この ” J ” プレートは、アタシのトヨタ・セリカに貼られてヨーロッパ中のサーキットを転戦しました。1970年。このクルマです。当時住んでいたロンドンのフラットの前で。そして20年後、このクルマにも。三菱ダンガン! おそらく英国で、唯一の軽!この「ヘルメット」持っています。かなり汚れていますけど、新品未使用。

と言えば、なんと言っても、この HONDA N 360 でしょ。

この人が、式場 壮吉です。この人が RACING MATE を始めた人です。

N ONE は、入手済みです! 新しい始まっています!

式場 壮吉が何をしようとしていたか。実に60年も前のことです。この「ボンネット・ストラップ」新品未使用で、持っています。

「ボンネット・ストラップ」は、1967年、日本グランプリで使用しています。 ”注” PEPSI のステッカーのとこ。

「生沢 徹 ドライビング・グローブ」これ、アタシのデザインです!

アタシ、このグローブ、持っています。新品未使用、未開封のままも!

さすがに、このオイルは持っていなかったのですが、なんと持っている人が居ました!  ヤフオクで見付けて、競り合って、このサビサビの缶を 16,000円で落札! つまり、欲しい人が他にも居た!このステッカーは、持っています。このステッカーも、持っています。54年も前のポスター。これで Tetsu Ikuzawa が、生沢 徹が、どれ程 RACING MATE の立ち上げから関わっていたか、携わっていたかが、お分かり頂けたと思います。